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島尾敏雄著『死の棘』、梯久美子著『狂うひと』

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    島尾敏雄著『死の棘』(新潮社 昭和52年9月30日発行)

     

     梯久美子さんのノンフィクション『狂うひと〜「死の棘」の妻・島尾ミホ』が昨年・平成28年10月に出版され、多くのマスコミの関心を集めて書評蘭でも取り上げられ話題となりました。その理由の一つは、島尾敏雄著『死の棘』に書かれた、著者・島尾敏雄とその妻・島尾ミホの狂ともいえる壮絶な夫婦関係にあったのではと思います。

     私自身は、まだ『狂うひと』を読んではいないのですが、『死の棘』が出版された時に、著者が島尾敏雄であること、そして『死の棘』という書名に惹かれて購入し読み始めてはみたものの、読み通すことができずに今日まで本箱の片隅に放置していました。今になって読み通して、『狂うひと』を読むべきかも読まざるべきか迷っています。

     以下に、単行本『死の棘』の付録として入っていた吉行淳之介、奥野健男の論評の中から、奥野武男の「『死の棘』論抄〜その成立のいきさつ〜」を引用します。

     

     長編『死の棘』の第1章にあたる「離脱」が雑誌『群像』に発表されたのは昭和35年4月である。そして最終章「入院まで」が雑誌『新潮』に発表されたのは昭和51年10月である。さらに約1年間、作者によって推敲され、昭和52年9月ようやく刊行のはこびとなった。その間、実に17年の歳月を要している。17年間というと幼稚園児だった子どもが、大学を卒業し社会人になってしまうほどの長い年月である。やむを得ぬ何回かの中絶の時期があったにせよ、その間作者の心から『死の棘』のことが一日たりとも離れたことはなかったであろう。

    『死の棘』の完成は作者の業にも似た悲願であり、妻ミホへの絶対の愛の絆の証しにほかならなかったから。それが完成しない17年間、島尾敏雄は、心から安らいで眠る夜を持たない煉獄の連続であったろう。

     この長編の題材は昭和29年10月から翌30年6月までの島尾夫妻のたった9カ月の出来事である。登場人物も、はっきり作者自身やその妻子のこととわかる典型的な私小説のかたちを取っている。

     そういう小説を書くのにどうして17年間もかかったのか。それはこの小説が、人間に許された小説という表現行為の極限すれすれ、いや極限を超えた小説であるからだ。妻の魂の底からの訴え、悲しみ、怒りを、その真実の姿ありのまま描こうとすると妻は人間として解体されてしまって、もはや統一された人間として回復困難の場に陥ってしまう。その妻の狂った魂に、とことんまでつきあい、同一化することによって妻を救おうとするとき、今度は作者の文学的主体性まで崩壊に瀕する。

    しかし作者はその苛酷な極限状態から逃げることを自らに許さず、それを文学化、小説化しようと不可能な行為を自らに課した。不可能と思われる小説を完成することだけが、妻への真実の愛の証しであり、妻を通して神の試みへの唯一の答えである。たとえ人間として許されぬ行為として中途で破滅しても・・・・・。

     しかし妻も自分もあきらかに狂っていた地獄の日夜をその後十数年にわたって追体験し表現するということは、その当事者の生身の妻が、まだ夫の一語一語に鋭く、不安定に反応するなかで、その核心を書くということは、かえって夢中で過ごした狂乱の時期より、さらに辛いしんどい作業であり、生活である。真の『死の棘』の苦しみは、小説に扱われた9カ月の狂乱の時期よりも、『死の棘』を完成するまでの17年間の時期にあったといえる。それは『死の棘』の執筆がしばしば中絶したことにもあらわれている。しかし作者はその困難を打ち克って、妻への鎮魂の書であり、贖罪の書であり、絶対の愛の絆の証しである『死の棘』は遂に完成した。

     その執念に僕はただ脱帽するだけだが、文体の緊張度、迫力が17年間少しも変わっていない作者の稀有の精神の持続力に驚嘆の念を禁じ得ない。

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 21:09 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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