<< March 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 遠藤周作著『沈黙』・『死海のほとり』ほか | main | 足立稲門会『箱根駅伝応援&新年会』 >>

エマニュエル・トッド『文明の接近』、ハチントン『文明の衝突』、ロストウ『経済成長の諸段階』

0

    エマニュエル・トッド、ユセフ・クルバージュ著 石崎晴己訳

     『文明の接近 イスラームvs西洋の虚構』(藤原書店 2008年)

    サミュエル・ハチントン著 鈴木主税訳

     『文明の衝突』(集英社 1998年)

    w・w・ロストウ著 木村健康・久保まち子、村上泰亮訳

     『経済成長の諸段階 一つの非共産主義宣言』(ダイヤモンド社 昭和36年)

     

     2016年(平成28年)の大みそか。今年も世界中でテロが活発化し多くの犠牲者が出ました。残念ながら、この傾向は来年も続いていくと思われます。

     ロストウは『経済成長の諸段階』のなかで、5つの成長段階として「伝統的社会」「テイ・クオフ(離陸)のための先行条件」「テイク・オフ(離陸)」「成熟の前進」「高度大衆消費時代」を挙げています。そして「伝統的社会」から「テイク・オフ」の過渡的社会において教育の必要・普及、出生率の低下にもふれています。

     ハチントンは「『文明の衝突』のなかで、「文明の衝突は世界平和の最大の脅威であり、文明に依拠した国際秩序こそが世界戦争をを防ぐ最も確実な安全装置」だと語っています。おそらく現在の世界で起きている様々な衝突も長期的に見れば一時の過渡的段階のものともいえます。

     エマニュエル・トッドの『文明の接近』は『文明の衝突』のアンチテーゼとも言われますが、ここでも衝突は一時的なもので長期的には文明は接近していくものととしています。その重要な鍵が「人口学」的な研究から見れば「男性の識字率(50%を超える)」そして「女性の識字率(50%を超える)」、その結果として教育程度が進んで「出生率の低下」であるとしています。

    以下『文明の接近』からの引用です。

     

     イスラーム諸国の政体は、権威主義的政体であれ自由主義的政体であれ、もしかしたら制御不可能になるかもしれない。宗教的危機と出生率の低下を結びつける歴史的法則が力強く示唆するところは、イスラーム主義は歴史の終わりではなく、その一時期に過ぎず、それを越えた先に、やがては脱イスラーム教化されたイスラーム圏の可能性が、ほとんど確実なものとして輪郭を表わしている、ということなのである。既に脱キリスト教化されたキリスト教圏が既に存在し、脱仏教化された仏教圏が存在するのと、同様に。

     原理主義は、宗教的信仰の動揺の過渡的な様相に過ぎない。近年の現象である信仰の弱さの帰結として、再確認の行動が生まれるのである。宗教の退潮と原理主義の伸長が時間的に合致するというのは、古典的な現象である。神の存在の疑問視と再確認とは、同じ現実の二つの面に他ならない。そして形而上学的ためらいが生じれば、その避けがたい帰結として、伝統的信仰の放棄にしかなりようがない。

     

     今日イスラーム圏を揺るがしている暴力を説明するために、イスラーム固有の本質などに思いをめぐらす必要はいささかもない。イスラーム圏は混乱のただなかにあるが、それは識字率の進展と出生調整の一般化に結びつく心性の革命の衝撃にさらされているからに他ならない。非イスラーム諸国でもこのような心性の革命を経験した幾つかの国で、大衆的な政治的混乱を観察することができるし、それらの混乱が、イスラームの地で起こり得るあらゆる混乱を激しさにおいて凌駕する場合もあるのである。

     

     ヨーロッパの近代化を理解するには、次のような長いサイクルを想像することができなければならない。すなわち、識字化、脱キリスト教化、次いで出生率の低下が、当初は宗教別の各地域の間の差異を際立たせるが、その後は収斂に向かうというサイクルである。世界全体の近代化とは、すなわち他の大陸に先立って先ず最初にヨーロッパを襲った心性の近代化の過程の拡大に他ならない。イスラーム圏は現在、近代化への移行最中にある。出生率の水準ではすでにヨーロッパに追い付いた国もある。しかしプロセスが始動したのはかくも明白なのであるから、我々としては、ふたたび統一された世界の出現を期待するべきであろう。

    人間の社会は、互いに全く似たようなものとなることは決してないだろう。そしてどんな細部に至るまでも同質的な世界というものを想像するのは、馬鹿げてもいれば悲しいことでもある。ヨーロッパの美しさの依って来る所以は大幅に、スエーデンとイタリヤの間、イングランドとハンガリーの間に存続している差異の中に存するのだ。各国社会の人口学的分析は、もちろん文化的差異の分析に取って代わることはできない。しかし文化的差異の分析作業の中で知的に受け入れることの出来るものは何か、その限界を定めるのは社会の人口学的分析なのである。

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:49 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

    コメント

    コメントする









    トラックバック

    このページの先頭へ