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司馬遼太郎著『アメリカ素描』

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    司馬遼太郎著『アメリカ素描』(読売新聞社 昭和61年)

     

     アメリカ大統領選挙でトランプ氏を勝利に導いた一つとして、いわゆるラストベルト(さびついた工業地帯)の存在があったと言われています。ラストベルトとは、一時期は鉄鋼業や重工業が盛んで繁栄していた工業地帯が自由貿易などで衰退し工場が廃墟と化した地帯のことで、そこで働く白人労働者が職を失い生活にも困窮し、過去の繁栄を取り戻したいとトランプを支持したと言われています。

     司馬遼太郎氏が訪れた昭和60年のアメリカでも同じような光景が見られたようです。以下、『アメリカ素描』からの引用です。

     

     アメリカに来て驚いたことのひとつは、機能を失った都市を、平然と廃品同然にしていることだった。フィラデルフィア市を見てそう思った。

     日本で言えば、大阪を廃品するようなものである。

     大阪は、江戸期、流通の中心として存在理由の明確な街だった。ここでコメをはじめとする諸国の物産が集められ、市が立ち、値が付き、再び諸国へ配られた。それが江戸幕府の法と経済の基本的機構・慣習のひとつだったが、幕府が倒れて、大阪の商圏が消滅し、その機能は半減した。げんに、明治初期、大阪の人口は激減している。この時期に、アメリカ流でいえば大阪は廃品になってもよかったのである。

     その後、大阪自身の努力で、明治期、薬品・化粧品・繊維といったものを中心に都市体力を回復したが、江戸期、諸藩に対する金融と海運をにぎっていたような栄光は、もはや戻らなかった。とくに戦後、経済まで東京に集中したため、かっての大阪が持っていた機能のほとんどが東京に移った。それでも、大阪は自己の機能を様々に手直ししつつ、意味不明をキャッチフレーズながら、なんとか復権しようとしている。

     また海港としての神戸も、そうである。産業輸送のシェアまで航空機が大きく占めるようになって、港の経済が往年のようではなくなった。このため、別な機能をもつべく、一市一県が会社のようになって、経済的性格を変容させようとしている。

     そういう点、アメリカという国は、その種の努力を、あまりしないように思われる。

    (都市の使い捨てというのがあるのか)と思うほどのショックを受けたのは、ワシントンからニューヨークに戻る途中、列車の窓からフィラデルフィアの鉄鋼製構造物の巨大な廃墟を見た時だった。

    主を失った造船所や人気のない造機工場、あるいは鉄道車両工場といった、19世紀末から20世紀の半ばまでの花形産業が、精一杯、第二次世界大戦まで生きながらえはしたものの、いまは河畔にながながと残骸の列をさらしている。

     国土の狭い日本ならば、せめて鉄柱や鉄梁ぐらいは片付けて、地面をきれいにしておくとか、他に土地利用を考えたりするだろうが、ここでは雨ざらしにされたままである。そういう、いわば豪儀なことができるほど国土が広いということもあるだろう。しかし資本というものの性格のきつさが、日本と比べものにならないということもある。この社会では資本はその論理でのみ考え、動き、他の感情は持たない。労働者も労働を商品としてのみ考え、その論理で動く。論理が、捨てたのである。凄味がある。

    (せめてオモチャ工場でもつくったらどうだ)と、車窓で思ったりもした。

     しかし、アメリカの巨大資本はそんな小規模な物作りをする帳簿など持っていないのに相違ない。オモチャなどはホンコンや台湾から買う方が安上がりでもある。だから、棄ててしまう。

     

     「しかし列車ではなく自動車で入っていくと、フィラデルフィアは別の顔をしはじめていますよ」と言う人がいた。ちかごろはコンピュータ産業がこの街に根付き始めて、都市部に新しいビルもできて、古風なビルとのあいだに好もしい諧調をかもし出しているという。

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:46 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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