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司馬遼太郎著『ロシアについて』・『アメリカ素描』

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    司馬遼太郎著『ロシアについて』(文芸春秋 昭和61年)

          『アメリカ素描』(読売新聞社 昭和61年)

     

     安倍総理も外交面では、トランプ次期アメリカ大統領との会談、ロシアプーチン大統領との会談と精力的に活動していますが、どちらも何か成果を挙げたいための独り相撲の感が否めません。ロシアは誰の代であっても奪った領土を返還することはないでしょうし、武力をもってしてでもウクライナからのクリミヤ半島を奪ったように、拡大にしか関心はありません。

     結局は従来と同じように経済協力だけで終わることになるでしょう。それでも日本側に大きな経済的なメリットがありそれが長期に継続するならばまだしも、ロシアの国内事情で、気が変わって不良債権で終わりと、何度も経験しているのに懲りないことです。

     対外的には、国民の財産や税金をばらまいて、どの国に対してもいい子になろうとする八方美人外交は、どこの国からも相手にされない「便利なおさいふ」でしかなくなってしまうのでは。安倍総理は今の国際情勢の中で、欧米を取るのかロシアを取るのか。

     

     司馬遼太郎氏は著書『坂の上の雲』での日露戦争などロシアには多大な関心を持っていたと思われますが、アメリカにはあまり関心がなかったようです。今回は『ロシアについて』から引用です。書かれた当時はまだ崩壊する前のソ連邦の時代です。

     

     近ごろ気遣わしいことは、「北方領土」と呼ばれる島々を返せ、という国内世論の盛り上げ運動のことです。たしかに国際法的には、狭義の北方領土(歯舞・色丹と国後・択捉)は古くから日本に属し、いまも属しています。固有の領土であるということは、江戸期以来の長い日露交渉しから見ても自明のことです。

     1951年(昭和26年)の対日講和条約で、千島列島と南樺太についてのすべての権利を放棄しました。しかし放棄された千島列島のなかで、上の4島については日本の固有の領土であるため、これは含まれていないという解釈は動かしがたいものだと思いますが、現実にはロシア領になっていますし、これについてソ連は別の解釈をもち、問題としてはすでに解決済みだとしています。

     日本国政府がこれを非とするー私も非としますー以上、政府はこれについての解釈と要請を何年かに一度、事務レベルで持ってソ連の政府機関に通知し続けることでいいわけで、あくまでも事は外交上の法的課題に属します。これをもって国内世論という炉の中をかきまわす火掻き棒にしたてる必要はなく、そういうことは、無用のことというよりも、ひょっとすると有害なことになるかもしれません。

     

     ソ連は、いうまでもなく、領土的には、帝政ロシア以来、膨張によって出来上がった国です。たとえば、中国との間にも、中国側からすれば多くの領土問題を持っています。その請求権についての態度は、対ソ外交のその時々のあり方によって潜在化したり、顕在化して利してきました。もしソ連が、無償でー無償などあり得ないことですがー北方四島を日本に返還するようなことがあれば、それと同じ法解釈のもとで、多くの手持ちの領土を、それをわが国固有の領土だと思っている国々に対しても返還しなければならないという理屈が成り立ちます。それが単なる理屈であるとしても、いったんソ連領になった「領土」を、元の持ち主に返すようなことをソ連の首脳陣が行うとすれば、おそらく国内的に彼らはその地位を失うことになるでしょう。

     

     もし、北方四島を返すということがあるとして、それを首脳部が他に説明せねばならない場合に、「四島を返すことによて、日本全体を得るのだ」という大戦略がすでに確立された、ということを耳打ちして人々に同意を得る以外、あり得ないのではないでしょうか。むろん、こんなことは、架空のことを想定してです。ともかくも、ソ連の首脳部にとって、返還など、無理難題を超えたほどのことだということを、私どもは成熟した国民として理解しておく必要があります。日本における返還運動が、そういうことを解かりきった上で、なお国内世論だけを盛り上げて反ソ気分を煽ろうとしているのなら、日本国はやがて損ずる結果になるだろうと思うのです。

     

     私は、日本が大した国であってほしい。北方四島の返還については、日本の外務省が外交レベルで持って、相手国に対し、たとえ沈黙で応酬され続けても、それを放棄したわけではないという意思表示を恒常的に繰り返すべきだと思っている。しかし、それを、国内てな国民運動にしたてていくことは有害無益だと思っている。有害というのは、隣国についての無用の反感をあおるだけだということである。

    ロシア史においては、他民族の領土を取った場合、病的なほどの執拗さでこれを保持してきたことを見ることができる。

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:59 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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