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ゴヤ『戦争の悲惨』&堀田善衛『ゴヤ』

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    堀田善衛著『ゴヤ 全4巻』(朝日文芸文庫 1994年)

    フランシスコ・デ・ゴヤ『戦争の悲惨』(未知谷 2016年9月)

    大谷保二郎『ゴヤ「戦争と平和」』(新潮社 2016年9月)

     

     南スーダン国連平和維持活動(PKO)で「駆けつけ警護」という新任務が付与されて陸上自衛隊第11次隊が11月20日現地に向けて出発しました。「駆けつけ警護」は今年3月に施行された安全保障関連法案で可能となった任務で、遠隔地にいる国連職員らが危険な状況に陥った場合に救出に駆けつける任務。威嚇射撃など任務遂行のため武器使用も認められる。

     しかし武器使用に関しては極めてあいまいで、駆けつけ警護では任務遂行のための武器使用は認められるものの、危害射撃は隊員自身の生命に危険が及ぶ場合などに限られ、武装集団に対して危害を加える射撃をするには正当防衛・緊急避難に限られるとのことです。これでは「武装集団の銃撃で自衛隊員の一人でも死んでからでなければ応戦できない」と言われているようなものです。

     万が一、戦闘状態になり相手を射殺したり、自衛隊員が殺害された場合に、一体だれが責任を取るのでしょうか。この決定を下した安倍総理大臣と稲田防衛大臣が真っ先に責任を取るべきであり、つぎに自民党・公明党国会議員、そしてその両党の支持者が責任者となるべきでしょう。間違っても判断や対応がまずかったなどと現地の司令官や自衛隊員に責任を転嫁するようなことがあってはなりません。

     ともかく、何事もなく派遣された自衛隊員が全員無事で帰国されることを願っています。

     

     今年になって相次いで、スペインの画家で「裸のマハ」「着衣のマハ」などで有名なフランシスコ・ゴヤの「戦争」に関連した画集が出版されました。視覚表現史に革命を起こした天才ゴヤの第二版画集『戦争の悲惨』は銅版を用いての版画集で白黒だけの画集ですが、より一層の悲惨さが表現されているようです。戦争はあらゆる人、勝者も敗者も民衆をも、ある種の狂気へと導き、不幸にするだけです。以下は堀田善衛『ゴヤ 3巻 巨人の影に』からの引用です。

     

     この版画集のための赤チョークによるデッサンと、銅版への刻印そのものも、6年間の長きにわたる対仏戦争中(ナポレオン戦争)に、老ゴヤがそのアトリエにあって、こつこつと、なるべく人に知られぬようにして、しかもなお情熱を込めて描き、かつ刻み続けてきたものであった。

     この版画集をちらりとでも見られた人々が、すぐに諒解されるであるように、われわれのゴヤは、年老いて、枯れたり乾上ったり、あるいは円熟というものをしたりする人ではなかった。ここに強烈に躍動して小さな版画の画面から溢れ出ようとしている情熱は、それは主として”憎悪”にかかわる情熱であることに先ず注目しなければならない。

     生まない情熱ー憤怒と憎悪は、芸術の生成にとってもっとも厄介なモチーフであり人がそれに駆られて画布に、あるいは原稿用紙に向かった場合、成功する率は、ほとんど無であるのが状態であろう。

     画家(ゴヤ)はしかし、そんなことにかまけていない。彼は赤チョークを手にデッサンし、それを、身を傾けて銅版に刻み続ける。

     この版画集は、1820年になってから彼の友人で美術史家のセアン・ベルムーデスが、画家がほんの少数を極秘に刷ってみたものを編集して、「スペインがボナパルトと戦った血みどろの戦争の宿命的結果とその他の強烈な気まぐれ」と命名した85枚からなっていた。公刊は画家に死後35年も経っての、1863年まで待たなければならなかった。美術アカデミーはこれを公刊するにあたって、戦争の惨禍とは一応関係ないとして、最後の3枚の、鎖に繋がれた囚人を描いたものを外して、『戦争の惨禍』との題名をつけたものであった。

     

     「人間が狂気じみているのは必然的であるので、狂気じみていないことも、別種の狂気の傾向からいうと、やはり狂気じみているということになろう」と言ったのはパスカルであったが、ここにわれわれの老画家によってわれわれに差し出されているものは、すべてこれ”狂気の沙汰”と普通ならば言わなければならない事態であり、従って、この狂気の沙汰というものを含まぬ、あるいはそれをそれを囲い込んで排除した、いわば理性一本やりの人間観というものは、人間観としては、人間世界にあって通行権を持たぬものだ、と画家によってわれわれは告げられているようである。

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