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三笠宮崇仁著『文明のあけぼの 古代オリエントの世界』

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    三笠宮崇仁著『文明のあけぼの 古代オリエントの世界』(集英社 2002年6月)

     

     大正天皇の第四皇男子で、天皇陛下 の叔父にあたる三笠宮崇仁親王殿下が10月27日午前8時34分、心不全のため、聖路加国際病院で薨去(こうきょ)されました。お歳は大正4年12月2日のご誕生で100歳というご高齢でした。本葬にあたる「斂葬の儀(れんそうのぎ)」は11月4日に東京都文京区の豊島岡墓地で執り行われました。

     三笠宮さまは昭和22年に東京大学文学部の研究生となって歴史学の分野に進み、アジアの広い地域の歴史を学ぶオリエント史を研究され、オリエント史の研究で皇族として初めて大学の教壇に立ち、テレビでも講義するなど、「オリエントの宮さま」として親しまれる学究肌の一面も持たれていました。

     

     著書の『文明のあけぼの 古代オリエントの世界』は平易な文章で専門家でなくても理解しやすく書かれております。以下は『文明のあけぼの 古代オリエントの世界』の「あとがき」からの引用です。

     

     古代オリエント史は三千年間の歴史である。それを一巻にまとめるのは容易ではない。そこで、トピック中心になってしまった。第一章は神話伝承、第二章は宗教、第三章は法制・・・・というふうに。また話が、メソポタミアからエジプト、さらにギリシャへと、あちこちに飛ぶ。書き方によってはこの弊害をもう少し避けえたであろう。

    もう一つ残念なことは、大国中心主義になったことである。つまり、話題が古代オリエントの中心部で活躍した強大な諸民族(国家)に集中して、その周辺、たとえばウラルトウやスキタイなどに及ばなかった。しかし、歴史は中心部と周辺との相対的関係において発展していくものである。しかるに、とかく中央部の絢爛たる文化に幻惑されて、周辺を忘れやすい。これは一国内の上部と下部の関係でも同じである。これについては、第六章でわずかに触れただけである。いつも気になっていることなのに、その過ちを犯したことを告白しておきたい。

     

     話は変わるが、日々の新聞は、個人間の、派閥間の、民族間の、そして国家間の争いの話で埋め尽くされている。そして人々はいつも平和を口にするが、長く続いたためしがない。古代オリエント時代以来、数千年にわたる人類の歴史はまさに争いの歴史であった。そして平和とは戦争の休止期間に他ならなかった。

     

     さて、戦後、東大で史学の勉強をしていた頃、「歴史は繰り返す」というのはどうも素人臭くて、「歴史は唯一回起性である」と考えた方が学問的なのかな、と思ったことがあった。この問題はその後ずっと頭から離れなかった。

     ところが十年ほど前、『歴史Eye』から原稿を頼まれたとき、「歴史は〈らせん状〉に推移する」という小文を書いた。〈らせん状〉とは「繰り返し的」現象である。

    またこの〈らせん状〉を側面から見れば円とも見えるし、両側から引っ張れば直線ともなり、インド的な輪廻転生観とユダヤ・キリスト教的な直線的歴史観の双方を内包しているようにも思われる。ともあれ、我々は、好むと好まざるとを問わず、この〈らせん〉の中で生活しているのである。しかも我々の未来もこの〈らせん〉の延長線上にあるとしかいえない。

     毎月の新聞を見ていると、あまりにもめまぐるしくて、明日のことさえ分からないと思いやすい。しかし、もし我々の未来がこの〈らせん〉上にあると仮定するならば、この〈らせん〉を逆戻りしてみることにより、未来を探るヒントが得られるのではあるまいか。筆者のささやかな希望が、読者の皆様に伝われば幸いである。

     

    2枚目の写真はこの本の見開きカラー写真。初めてラクダに乗る三笠宮殿下殿下。

    1956年10月7日イラク北部のパルティア人の遺跡ハトラにて。

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