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塩野七生著『ローマ人の物語』

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    塩野七生著『ローマ人の物語 全43巻+別冊1』(新潮文庫版)

     

     塩野七生著『ローマ人の物語』はハードカバーの単行本で全15巻、文庫版は単行本の各巻が2~3巻に分冊されて全43巻として平成14年の第1巻から最終巻43巻の平成23年まで順次出版されてきました。私は4年ほど前にまずは文庫版で全巻揃えてから読み進めて今年の8月末でやっと読み終わりました。興味のあるところでは一気にまとめて読んだり、停滞してしばらく間を開けてからまた読み続けるようにバラバラな読み進め方でしたが、ともかく紀元前753年ロムルスによる都市国家ローマの建国から476年の西ローマ帝国の終焉、そして東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の死まで一通り通読したという感じです。

     その時々のローマ帝国の情勢が、まるで現在にも通じているような著者の解説には納得するところが多くありました。私の勝手な解釈ではローマ帝国の滅亡の原因として、ゲルマン人を始めとする蛮族の侵入、帝国内部の腐敗、そしてキリスト教の3つの要素が大きく関わっているように思えます。とくにローマ帝国の最も素晴らしい資質としてのカエサル以来の異民族・蛮族・異教に対する寛容さが拡大の契機になっていましたが、、キリスト教国教化されて以後の一神教であるキリスト教の異教・異端に対する寛容のなさが帝国としての一体感の喪失に繋がっていったように思えます。

    以下、『ローマ人の物語』から引用です。

     

     なぜコンスタンティヌスが、絶対少数でしかなかったキリスト教にこれほど肩入れしたのか、という疑問が残る。なぜなら、コンスタンティヌスも政治家である。支持者の少ないことが確かな政策を断行する行為は、政治家にとっては命とりであること、充分に知っていたはずだからである。指導者ないし支配者とは、指導する人々や支配下にある人々の欲求、ないしはニーズ(需要)を汲み上げてそれを現実化するのが任務であると思いこんでいる人が多い。だがそれは、民主主義を、深くも考えず鵜呑みにしているからであって、それゆえにこの種の任務は凡百の政治家のモットーになっているのである。もちろんこれも、彼らの任務である。だが、任務の一部であってすべてではない。需要には、既に存在する需要もあるが、喚起してこそ生まれてくる需要もあるからである。 

     もしもコンスタンティヌスが、政治とは統治される側の需要を汲み取ってそれを現実化することだけであると考えるリーダーであったとしたら、5パーセントしかない支持者のために利益誘導するはずがない。彼もまた、喚起してこそ生まれる需要もあると考える、指導者に1人であったのだと思う。

     

     少数の勝者で多数の敗者を統治しなければならない場合の鉄則は、既存の統治階級の温存、につきる。既成階級を変革したくとも、それは後に延期すべきで、当面やらなければならないことの第一は、既成階級を安心させることなのだ。なぜなら、敗者であるこの人々は、勝者の進駐を、軍事力では自分たちは敗れたということが分かっているからなおのこと、強く深い恐怖を胸に抱きながら迎える。

     この瞬間が重要だ。少数の勝者による多数の敗者の統治が、上手くいくか否かを決めるからである。もしも、勝者が敗者の恐怖を増長するような政策を強行しようものなら、絶望した敗者は死にもの狂いの抵抗に起つ。そうなれば少数による多数支配は夢に終わり、残るのは、敗者による勝者へのしぶとい抵抗と、それを制圧するために投入せざるを得ない軍事行動の泥沼化でしかなくなる。これを避けたければ、ローマ史にはたぐいまれなるお手本があった。

    ■そのお手本とはカエサルのガリアでの勝者としての政策のこと。一言で言えば寛容でしょうか。

     

      

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:12 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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