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ドストエフスキー著『白痴』

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    ドストエフスキー著 訳:木村浩 『白痴 上・下』(新潮文庫)

    小林秀雄『ドストエフスキイ 全論考』(講談社 1975年新装版)

     

     今年はドストエフスキーの長編5作品を読もうと決めて、今までに新潮文庫版で『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』と読んで来ましたが、7月の下中から『白痴』を読み始めてやっと読み終わりました。ドストエフスキーの作品では、どの作品にも共通して哲学的(死の問題としての殺人)、宗教的(ロシア正教のキリスト教)、政治的(ツアーリズムや社会主義)そしてきわめて世俗的(ロシア的生活・生き方・思考)という重要なテーマが描かれていますが、あえて言い切ってしまえば、『罪と罰』は哲学的、『カラマーゾフの兄弟』は宗教的、『悪霊』は政治的、そして『白痴』は世俗的な面が強く出ているように思います。

    『白痴』についても、小林秀雄『ドストエフスキー全論考』の「白痴について」から引用します。

     

     ムイシュキンは、汽車の中で、独り言を繰り返す。「俺は、これから人間の中へ出ていく。もしかしたら、俺は何一つ知ってはいないかも知れない。それだのに、もう新しい生活がやってきた」また、こんな事を言う、「みんな俺のことを馬鹿扱いする。だが、そう扱われていることをちゃんと承知している馬鹿はあるまいよ。何と言っても、俺は賢い人間なのだ。皆が悟らないだけなのだ」

     これがムイシュキンの読者への奇妙な自己紹介である。彼は27歳になる。彼の古い生活とは何なのか。主人公を汽車に乗せてしまった以上、そんなことは作者の関知することではない、と言った風に小説は始まる。読者の心は何かの期待でいっぱいになる。それほど、この謎めいた人物は、はじめから生き生きとした様子をしている。詮索するにも及ぶまい。当人が「これから人間の中へ出ていく」と言っているのだから、この男には過去なぞないのだろう。当てどもない様子で、初対面の人々をつかまえて、一向取り止めのないおしゃべりを始めているとこらから見ると、未来もこの男にはないらしい。彼は、ただ単に現存していれば充分という様子で人々を捕らえる。彼の魅力は何処から来るのか。この馬鹿のような男が、実は賢いというのはどういう意味か。ムイシュキンに出会う人々とともに、読者が、そういう疑問を心に懐き始める時には、もう事件は突発している。読者はその渦中にあって、「ムイシュキンという男の性質については、何ひとつ知らないかも知れない、それだのにもう新しい事件がやって来た」とでも言うであろう。読者には悪夢のような事件を追うより他に、何の余裕もない。

    突然、思いもかけぬ終末が来て、一切は失われ、主人公は、元の「白痴」に還る。悪夢が覚めて見れば、狂気と死滅の無意味な現実しか残らない。異様な緊張から解放され読者は、子供らしい質問に誘われるような気がする。で3は、悪夢の方が本当だったのか。ムイシュキンという人間の運命には何か容易ならぬものがあったのではるまいか。おそらく、作者が先ず欲くしたのは、そういう無邪気な率直な読者であったとも言えるであろう。

     

     作者は読者の再読を求めている。しかも、ムイシュキンとの無邪気な共感のもとに、物語を読み終えた読者の再読を求めているように見える。実際、この物語に終わりはないのだ。発狂した主人公は再びスイスの精神病院に帰っていく。そしてやがてまた彼は「俺は、これから人間の中へ出ていく」と言いながら、ぺテルベルグに現れるであろう。この物語を再読する読者は、物語を逆さに読むような感覚を味わうであろう。もともとこの物語には順も逆もないのだと合点するであろう。例えば、冒頭の一場面の、ムイシュキンの何気ない言葉の端くれの中で、物語の終末がはっきりと予言されているのに気付いて驚くであろう。

     

     読者は『白痴』の結末に、不意打ちを食ったように驚くであろう。しかし、熟考すれば、物語はまさにこのように終わる他はない、と合点してくれるだろう。しずれにせよ、結末は、結末として成功していると思っている。

    『白痴』の有名な結末を紹介する要はあるまい。小説を一読した者は、あの息を呑むような破局の印象を忘れることはできない。

     

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:44 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

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