<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 『早稲田大学校友会奨学金奨学生証授与式』 | main | アラジン介護者フォーラム『介護も仕事も人生も・・・』 >>

R・H・ロービア著『マッカーシズム』

0

    R・H・ロービア著『マッカーシズム』(岩波文庫 1984年)

     訳 者:宮地健次郎

     

     英国の「EU離脱・残留」を決める国民投票の結果に一番驚いたのは、おそらく「EU離脱派」或いは「EU離脱」に投票した人たちではないでしょうか。民主主義の国ですから、まさか「国民投票のやり直し」はないでしょうが、「なかったことにしたい」というのが本音ではないでしょうか。それでも、僅差の結果はイギリスの民主主義・自由主義が健全に機能していることの現れでもあると思います。思想の自由・言論に自由、報道の自由、特に権力におもねるようマスコミが自主規制するような馬鹿げたことはしていないことの現れでしょう。

     また、いま世界では、それぞれの国で様々な選挙が行われています。どのような選挙でも国民投票でも、「後悔先に立たず」の結果にならなければいいのですが。ヒットラー政権でさえ形式的には民主的な選挙で成立しているわけですから。

     

     アメリカ合衆国のおける、1950年代前半に起こった「マッカーシズム」も歴史に学ぶ一つの教訓だと思います。以下『マッカーシズム』からの引用です。

     

     マッカーシーはさして重要なことは言いそうもないということ以外には、さして重要なことは判明しなかった。彼はほらを吹いたのだ。国務省に共産主義者がいるとしても、彼はそれが誰かということは知らない。とはいえ、彼は出番を作ったのであった。彼は脚光を浴びた。注目を集めた。そして舞台をさらった。何週間もたたぬうちに、マッカーシーの名はいたるところで聞かれ、知れわたり、テレビ視聴者に同じみのになった。

    「マッカーシズム」この言葉は最初は悪口だった。いわれなき名誉棄損あるいは中傷を憎む気持ちの同義語だった。しかしのちにこの言葉は、ある人々にとっては肯定を意味するものとなった。この言葉は悪口と肯定両方の意味で生き残り、最初のころに比べてはるかに広範な使用範囲を持つようになった。今日それは多くのアメリカ人にとって名状しがたい悪を思わせる言葉であり、やや少数のアメリカ人にとっては積極的な善を思わせる言葉である。前者にとっては、狭量、抑圧的、反動的、反啓蒙主義、反知性的、全体主義的なもの、あるいは単に下品なものまですべて当分の間「マッカーシズム」ということになり、後者にとっては、それは勇壮な愛国主義そのものを意味するものとなる。

     

     マッカーシズムの道化的特徴は実はその本質にかかわるものだ。というのはマッカーシズムはなかんずく、いや多分なによりもまず、現実からの一目散の逃避であったのだから。それは滑稽なものを持ち上げ、重大なことを嘲笑した。常識を踏みにじり、常識をけしからぬものとした。形式と価値の範疇を混乱させた。変人を賢人のように扱い、賢人をバカ者だと非難した。現在から関心をそらし、過去に注目させた。そして、過去を見るも無残に歪曲した。マッカーシズムは自らを現実を直視する唯一の原理だと声高に称して実は現実から逃避していた。

     

     「煽動政治家とは口の軽い男、節度なく、激情に実を委ね、空虚な言葉で民衆を不幸に導く男だ」

    私が言いたいのは、この残忍な男(マッカーシー)には一種の無邪気さがあり、それが彼の成功と失敗の鍵の一つではないかということである。もちろん基本的には、マッカーシーは人間関係の機微に通じた人間だった。煽動政治家というものはみなそうなのだ。彼は人々の恐怖や不安をよく知っており、それを巧みに手玉に取った。しかし、自身は他人に与える感覚に無感覚だった。彼は真の憤激、真の怒り、真の何ものも理解し得なかった。

     

     私は『ニューヨーカー』誌の「ワシントン便り」の中でマッカーシーを取り上げた際、その最も注目すべき新手法の一つを「多重虚偽」と呼び、多くの点でヒットラーの大うそに比すべき技術だと書いた。

    「多重虚偽」は特に大きな虚偽である必要はなく、一連の相互にあまり関係のない虚偽、あるいは多くの側面をもつ一個の虚偽であったりする。いずれの場合にも、全体が非常に多くの部分で構成されているために、真実を明らかにしたいと思う人は虚偽の全要素を同時に頭の中に入れておくことが全く不可能となってしまう。真実を明らかにしようとして、人はそのなかの2〜3の言明を取り出してそれが嘘だということを証明するかもしれないが、こういうやり方は、取り出された声明だけが嘘であって、残りは本当かもなのだという印象を残すだろう。

    「多重虚偽」の更に大きな利点は、嘘と証明された声明をその後も平然と何べんも繰り返しているうるということである。というのは、どの声明が否定され、どれが否定されていないかを誰も覚えていないからである。

     

     

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 21:23 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

    コメント

    コメントする









    トラックバック

    このページの先頭へ