<< December 2014 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< ヘルマン・ヘッセ『人は成熟するにつれて若くなる』 | main | 『資本主義発展の理論』その2 >>

ポール・スウィージー『資本主義発展の理論』

0
    『資本主義発展の理論』(新評論 1967年)
    著 者:P・M・スウィージー
    訳 者:都留重人

    政権交替して初めての予算委員会が始まります。予算編成はその政府のあり方を示すものであり、本当に『コンクリートから人へ』の理念が貫かれているのか問われるところです。

    『資本主義発展の理論』は1930年代の末から1940年代のはじめにかけてマルクス主義経済学の立場から書かかれたものです。
    以下『資本主義発展の理論』からの引用です。
    いまさらマルクス経済学的解釈が通用するのかわかりませんし、言葉が強すぎるかもしれませんが、いまの日本の状況をよく現わしていると思われます。

    自由主義的資本主義改良の前提は、資本主義社会における国家は、少なくとも可能性としては、社会全体の利益のために機能しうるところの機関であるということである。
    歴史的には、資本主義社会の国家にとって資本主義的財産関係を保証することが常に何よりも大切な第一の仕事であった。この役割からしても、国家は疑問の余地なく資本主義的階級支配の道具であった。
    その人的な担い手である官僚、行政、立法は、その国の人口の中でも、資本主義の価値と目的をなんら疑うことなく、当然のこととして受け入れられる層から選ばれている。
    そして経済的立法は階級的敵対関係を鈍らせ、かくして資本主義的活動の通常的な目的である蓄積が円滑に中断なく進行することを狙いとしてきた。すべてこれらのことは、資本の拡大にとってほとんど無際限の機会が存在するということを前提していると言ってよい。
    ところで、この条件がもはや存在しない時には、国家政策の基準もまた変わらざるをえぬと言えないであろうか。
    もし資本の目的がそれ自身の自己拡大以外のものとなると仮定できるならば、われわれとしてもたしかに国家政策における変更の可能を否定することはできないだろう。
    それでは、資本主義社会の枠内での国家は、もしその行動が社会全体の利益のために望ましくさえあれば、たとえ資本の利益や目的に反することであっても、これを行なうことができるであろうか。
    ここでわれわれの問題となるのは、蓄積の障害を取り除く目的で行なわれるあれこれの譲歩ではなく、むしろ生産者の社会に利益を与えると言う目的で蓄積を制限し消費を高めることを意図した政策である。
    資本家がこの種の計画を彼ら自身のものとして採用するということは、少なくとも他の解決方法がある限り、明らかに期待できない。
    そして事実、他の解決方法というのは、対外的拡張という形で常に存在しているのだ。
    われわれとしては、独占資本に選択の余地がある限り、国内的改良よりも帝国主義的拡張の途を選ぶだろうという前提を持ち続けざるをえない。
    そのうえさらに、われわれは、独占資本及びその政治的代表者は、自由主義的資本主義改良計画に実現を企図するどのような運動に対しても積極的に反対するであろうと仮定しなければならぬ。

    以下次回。
    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 22:35 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

    コメント

    コメントする









    トラックバック

    このページの先頭へ