<< September 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

ハンナ・アーレント著『責任と判断』その2

0

    ハンナ・アーレント著『責任と判断』(筑摩書房)

     

     今回、ハンナ・アーレント著『責任と判断』のなかの「裁かれるアウシュヴィッツ」からの引用です。この裁判は1963年12月に時効にかからない唯一の犯罪であるナチスの犯罪者たちを裁くことを目的にして、フランクフルトで戦争犯罪人裁判が始まったものです。

     

     証人の裁判前の取り調べの内容と裁判での証言のくい違いは、法廷の外の世論を背景にしなければ説明できないことだが、これよりもさらに驚かされたのは、被告の証言の場合にも、まさにこれと同じくい違いが起きたということなのである。たしかに、証言を翻した被告たちはあとになって弁護人から、ごく基本的な言行の不一致となっても、すべてのことを否定するのが最も安全な方法だと教えられたに違いない。

     ホーフマイヤー判事は「アウシュヴィッツで何かをしたことを認めた被告人に一人も出会ったことがない。司令官はそこにはいなかったし、担当の士官はたまたまそこにいあわせただけだし、政治部の代表はリストを手にしていただけであり、担当者は鍵を持ってきただけなのだ」と語っている。「沈黙の壁」はこうして築かれるのであり、被告は常に嘘をつくのである。こうした嘘はいつも一貫性があるとは限らないが、それは一貫性のある嘘をつくには知性が足りないからなのだ」

     

     大切なのは、フランクフルト裁判の被告は、はかのほとんどすべてのナチスの犯罪者と同じように、自らを守るために行動しただけでなく、自分の周囲の居合わせた人々と同じように振る舞っていたということである。いわば一瞬の連絡で、みんなと調和する姿勢を示したのである。まるでこれらの犯罪者は権威でも恐怖でもなく、自分が一緒にいる人々の意見の一般的な雰囲気に敏感に反応するかのようである。

     

     こうした状況にあって世論が、「小さな魚は捕らえられ、大きな魚はキャリアをつづける」と語るのは、意外な事ではない。

     

     被告人と弁護人たちが出発点として「収容所スタッフとその行動に関して、アウシュヴィッツをまるで牧歌的な世界のように描く」という最初の試みが崩壊し、証言が語られるごとに、文書が読み上げられるごとに、何も見ないでいることはできなかったこと、何も知らないでいることはできなかったことが明らかになったのだった。それでも収容所の副司令官だったヘッカーは、かなり後になって噂に聞くまでは「ガス室について何も知らなかった」と主張した。

     この最初の試みが失敗に終わると、被告たちは自分たちが告発されて「法廷に立たされているのは」、まず「証人たちが復讐を目的として証言しているから」であり、第二に被告たちが「兵士」として命令を実行しただけで、「善悪については問われなかった」からであり、第三に小物たちは上官のためのスケープゴードとして必要とされたからである、としている。

     

    ■いずこの国でも、また時代は変わっても、そして事の軽重は違っていても、変わらないのは官僚の無責任体質と、ことが起きると誰も責任を取らずに逆に肥大化する一方の官僚組織ということです。

    shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:08 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

    ハンナ・アーレント著『責任と判断』

    0

      ハンナ・アーレント著『責任と判断』(筑摩書房 2007年)

      訳 者:中山元 編:ジェローム・コーン

       

       このブログでも何回か紹介していますが、映画『ハンナ・アーレント』を見てから、『イェルサレムのアイヒマン』はじめ彼女の著作を読んでみました。『人間の条件』(ちくま学芸文庫)はそれ以前に読んでいましたが、彼女の著書はいずれも難解な内容で私の理解するところではありませんでした。それでも読み進めたのは映画の中でのハンナ・アーレントの何者にも阿らない信念の人であり、「考えること」の重要性を強調していたことです。映画での一場面からの引用

       「人間であることを拒否したアイヒマンは、人間の大切な質をを放棄しました。それは思考する能力です。その結果、モラルまで判断不能となりました。思考ができなくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです。”思考の嵐”がもたらすのは、知識ではありません。善悪を区別する能力であり、美醜を見分ける能力です。私が望むのは、考えることで人間が強くなることです。危機的状況にあっても、考え抜くことで破滅に破滅に至らぬよう。」

       

       今、東京都の築地の豊洲への移転問題がマスコミを賑わしています。これに関わった都知事、議員、官僚、役人、あるいはひょっとすると建設関係者まで、まさに思考を放棄し、結果として本来負うべき「責任と判断」を放棄した人間の集団のように思われます。このような人たちを「人格を持った人」とは言えないとアーレントは言っています。以下は『責任と判断』からの引用です。この本は政治家、官僚、そして官僚化している組織の人たちに読んでもらいたい本です。

       

       まず私の著書『イェルサレムのアイヒマン』が巻き起こした嵐のような議論に就いて一言申し上げたいと思います。「引き起こした」ではなく、「巻き起こした」という語を使ったのは考えがあってのことです。というのも、議論の大半は、書かれてもいないことについてだったからです。ですから私の最初の反応は、オーストリアの有名な冗談「誰も読んだことのない書物に就いて議論するほど、楽しいものはない」にあやかって、すべての議論を無視しようとするものでした。でも議論が続いて終盤に差し掛かると、奇妙なことに私が語ってもいないことを攻撃するだけではなく、反対に私が語ってもいないことを弁護する意見が増えてきたのです。

       この議論は何とも不気味なものでしたが、私はやがてこの議論はたんなるセンセーションでも娯楽でもなく、もっと別な要素を含むものではないかと考えるようになり始めました。ここに込められているのはたんなる「感情的な反応」だけではないのではないけと感じ始めたのです。たんに誤解があっただけではなく、この論争が原因となって、著者と読者のコミュニケーションが完全に崩壊してしまうことすらあったのです。

      私は最初はこれは、直接に利益が関わる集団が事実を偽造し、歪曲していたことによるものだと考えていたのですが、それでは済まないものがあったのです。こうした利益集団は私の著書そのものよりも、これがきっかけとなって、議論の対象となった時代について公正で詳細な吟味が行われるようになるのを恐れていたのでした。

       この問題についての議論では、いつもさまざまな種類の道徳的な問題が提起されました。こうした道徳的な問題の多くは、私の著書では一言も言及していませんでしたし、たんに軽くふれただけのものもありました。私はこの裁判について事実に基づいて説明しただけです。そして「悪の凡庸さについての報告」という著書のサブタイトルも、実際の事実によってきわめて明らかに証明されていることであり、これについてさらに説明が必要だとは感じませんでした。私は自分が衝撃を受けた事実を指摘しただけですが、私が衝撃を受けたのは、その事実が悪についての私たちの理論に矛盾するからであり、もっともらしくはなくとも、ともかく真理だったからです。 

       私はたちはソクラテスと同じように、自分が悪を為すよりも、悪を為される方がましであると考えていますし、それはごく自明なことだと考えていました。しかしそれは自明などではないことが明らかになったのです。今では多くの人々が、どんな種類の誘惑にも抵抗できないし、結局のところ人間は誰も信頼できず、信頼に値しないものであり、誘惑されることと強制されることはほとんど同じことだと考えるようになっているのです。

       

       ちなみにアイヒマンがイェルサレム裁判の判決に異議を申し立てる際に利用したのは、「ほかにもやり方があったはずだし、殺人を犯す義務から逃れることもできたはずだ」と指摘されると、アイヒマンは「これは戦後に考え出した後知恵にすぎず、実際に起きたことを忘れたか、知らない人々だけが信じているのだ」と主張したのです。

       

       ナチスの犯罪者の裁判で困惑が生じたのは、これらの犯罪者たちがすべての人格的な性質を放棄していて、まるで罰する人も赦免すべき人も残されていないかのようだったからです。ナチスの犯罪者たちは、自ら自主的に行ったことは何もないこと、善にせよ悪にせよ、いかなる意図もなかったこと、たんに命令に従ったに過ぎないことを繰り返し強調して、処罰に抗議したのです。

       言い換えると、犯された最大の悪は、誰でもない人によって、すなわち人格であることを拒んだ人によって実行されたことになります。これらの問題を考察する概念の枠組みにおいて、自分が何をしているのかをみずから思考することを拒んだ悪人、後になって自分の為したことを回顧することを拒み、過去に立ち返って自分のしたことを思い出すこと(悔悛すること)を拒む悪人は、自分を〈誰か〉として構築することに失敗したということです。これらの犯罪者は〈誰でもない人〉であり続けることによって、他者との付き合いに相応しくないことを証明したのです。他社とは、善きにせよ、悪しきにせよ、あるいはそのどちらでもないにせよ、少なくとも人格ではあるのです。

      shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:14 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

      岡潔『日本のこころ』&岡潔・小林秀雄『人間の建設』

      0

        岡潔著『日本のこころ』(講談社 昭和43年)

        岡潔・小林秀雄『対話 人間の建設』(新潮社 昭和40年)

         

         今年度の小林秀雄賞を受賞した森田真生著『数学する身体』を読み、あらためて世界的な数学者であった岡潔の本を読んでみました。『日本のこころ』にはその後文庫となった「春宵十話」等にも再録されているエッセイも多数収録されています。また小林秀雄との『対話 人間の建設』は出版当時ベストセラーになったと記憶しています。

        以下は『人間の建設』から岡潔の言葉の引用です。

         

         数学は知性の世界だけに存在しうると考えてきたのですが、そうではないということが、ごく近ごろわかったのですけれども、そういう意味にみんながとっているかどうか。数学は知性の世界だけに存在し得ないということが、四千年以上も数学をしてきて、人ははじめてわかったのです。数学は知性の世界だけに存在しうるものではない。何を入れねば成り立たないかというと、感情を入れなければ成り立たぬ。ところが感情を入れたら、学問の独立はありませんから、少なくとも数学だけは成立し得たらと思いますが、それも言えないのです。

         最近、感情的にはどうしても矛盾するとしか思えない二つの命題をともに仮定しても、それが矛盾しないという証明ができたのです。だからそういう実例をもったわけなんですね。それはどういうことかというと、数学の体系に矛盾がないというためには、まず知的に矛盾がないということを証明し、しかしそれだけでは足りない、銘々の数学者がみなその結果に満足できるという感情的な同意を表示しなければ、数学だとは言えないということが初めて分かったのです。

        じっさい考えてみれば、矛盾がないというのは感情の満足ですね。人には知情意という感覚がありますけれども、感覚はしばらく省いておいて、心が納得するためには、情が承知しなければなりませんね。だから、その意味で、知とか意とかがどう主張したって、その主張に折れたって、情が同調しなかったら、人は本当にそうだとは思えませんね。そういう意味で私は情が中心だと言ったのです。

         そのことは、数学のような知性の最も最短なものについてだっていえることで、矛盾がないというのは、矛盾がないと感ずることですね。感情なのです。そしてその感情に満足を与えるためには、知性がどんなにこの二つの仮定には矛盾がないのだと説いて聞かせたって無力なんです。矛盾がないのかもしれないけれど、そんな数学は、自分はやる気にはなれないとしか思わない。そういうことは、初めから分かっているはずのことなんですが、その実例が出てはじめてわかった。矛盾がないということを説得するためには、感情が納得してくれないとだめなんで、知性が説得しても無力なんです。

         ともかく知性や意志は、感情を説得する力がない。ところが、人間というものは感情が納得しなければ、ほんとうには納得しないという存在らしい。

         

        ■岡潔著『日本のこころ』から

          著者自身、小さなころから祖父に「常に、他を先にして、己を後にする」と教えられてきたそうです。

        shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:50 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

        森田真生著『数学する身体』『考える人』&岡潔『日本のこころ』他

        0

          森田真生著『数学する身体』(新潮社 2015年)

          季刊誌『考える人 数学は美しいか』(新潮社 2013年夏号)

          岡潔著『日本のこころ』(講談社 昭和43年)

             『春宵十話』(光文社文庫)、『春風夏雨』(角川ソフィア文庫)

          岡潔・小林秀雄対話『人間の建設』(新潮社 昭和40年)

           

           第15回小林秀雄賞を森田真生著『数学する身体』が受賞しました。この記事を読んだ時、森田真生という著者の名前をどこかで見たような気がして、探してみたら季刊誌『考える人』2013年夏号の特集「数学は美しいか」の中で、森田真生氏が「数学と情緒」というエッセイを書いていました。「数学と情緒」という題からも分かるように世界的な数学者である岡潔に触れたものでした。

           そしてこの『数学する身体』も岡潔の影響を強く受けたうえでの作品であることが分かります。以下『数学する身体』からの引用です。数学・数字は苦手でもこの本はとても面白く読めました。

           

           1955年9月には、当時世界で最も影響力を持っていた数学者の一人、アンドレ・ヴェイユが来訪した。そのヴェイユと岡潔が、奈良の日本料理店で邂逅したのだ。このとき二人は、互いの研究を振り返りながら、多岐にわたる話題を交換した。その中で、ヴェイユが岡に「数学は零から」と言うのに対して、岡が「零までが大切」と切り返す場面があったという。まるで禅問答のようなやりとりであるが、私はこのエピソードを初めて耳にしたとき、「零までが大切」という岡潔の言葉が、なぜか強く印象に残った。

           ヴェイユの「数学は零から」という言葉には、数学の本質が零からの創造である、と言う気持ちが込められていたのかもしれない。あるいは、いかなる信仰や政治的信念からも自由に、本当のまったき「零」から出発して豊かな世界を構築し得る数学に対する誇らしい気持ちがあったのかもしれない。そこには、数学が他の何物にも依存しない、自立した学問であるという自負の念もあっただろう。それに対する岡の返答はどうだろうか。私はここで、彼のエッセイの一節を思い出す。

           「職業に例えれば、数学に最も近いのは百姓だといえる。種子をまいて育てるのが仕事で、そのオリジナリティーは「ないもの」から「あるもの」を作ることにある。数学者は種子を選べば、あとは大きくなるのを見ているだけのことで、大きくなる力はむしろ種子の法にある」

           岡によれば、数学者の仕事は百姓のそれに近いという。その本分は「ないもの」から「あるもの」を作ること、まさに「零から創造すること」にある。しかし、なぜ「ないもの」から「あるもの」ができるのか。それは種子の中に、あるいは種子を包み込む土壌の中に、「ないもの」から「あるもの」を生み出す力が備わっているからだ。

           百姓が種子からかぼちゃを育てるように、数学者は零から理論を育てるが、その種子自身を、あるいは零そのものを創り出す力は人間にはない。「零から」は人間の意志で進めるけれど、「零まで」は人間の力ではどうしようもない。しかし、この「零まで」が肝心である。

           数学における創造は、数学的自然を生み、育てる「心」のはたらきに支えられている。種子や土壌のない農業があり得ないように、心のない数学はあり得ない。その心の働きそのものを、人間の意志で生み出すことはできない。人間にできるのは、それを生かし、育てることだけである。

           

           岡潔が「情緒」という言葉を好んで使った背景にはそれなりの理由があった。心には本来、「彩りや輝きや動き」がある。ところが、「心」という言葉はあまりに使い古されてしまって、そのままでは「なんだか墨絵のような感じ」を受ける。そこで、心の彩りや輝き、動きをもっと直截に喚起する言葉として「情緒」と言う表現を使うのだと、エッセイの中で繰り返し説明している。

          shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:12 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

          塩野七生著『ローマ人の物語』

          0

            塩野七生著『ローマ人の物語 全43巻+別冊1』(新潮文庫版)

             

             塩野七生著『ローマ人の物語』はハードカバーの単行本で全15巻、文庫版は単行本の各巻が2~3巻に分冊されて全43巻として平成14年の第1巻から最終巻43巻の平成23年まで順次出版されてきました。私は4年ほど前にまずは文庫版で全巻揃えてから読み進めて今年の8月末でやっと読み終わりました。興味のあるところでは一気にまとめて読んだり、停滞してしばらく間を開けてからまた読み続けるようにバラバラな読み進め方でしたが、ともかく紀元前753年ロムルスによる都市国家ローマの建国から476年の西ローマ帝国の終焉、そして東ローマ帝国のユスティニアヌス帝の死まで一通り通読したという感じです。

             その時々のローマ帝国の情勢が、まるで現在にも通じているような著者の解説には納得するところが多くありました。私の勝手な解釈ではローマ帝国の滅亡の原因として、ゲルマン人を始めとする蛮族の侵入、帝国内部の腐敗、そしてキリスト教の3つの要素が大きく関わっているように思えます。とくにローマ帝国の最も素晴らしい資質としてのカエサル以来の異民族・蛮族・異教に対する寛容さが拡大の契機になっていましたが、、キリスト教国教化されて以後の一神教であるキリスト教の異教・異端に対する寛容のなさが帝国としての一体感の喪失に繋がっていったように思えます。

            以下、『ローマ人の物語』から引用です。

             

             なぜコンスタンティヌスが、絶対少数でしかなかったキリスト教にこれほど肩入れしたのか、という疑問が残る。なぜなら、コンスタンティヌスも政治家である。支持者の少ないことが確かな政策を断行する行為は、政治家にとっては命とりであること、充分に知っていたはずだからである。指導者ないし支配者とは、指導する人々や支配下にある人々の欲求、ないしはニーズ(需要)を汲み上げてそれを現実化するのが任務であると思いこんでいる人が多い。だがそれは、民主主義を、深くも考えず鵜呑みにしているからであって、それゆえにこの種の任務は凡百の政治家のモットーになっているのである。もちろんこれも、彼らの任務である。だが、任務の一部であってすべてではない。需要には、既に存在する需要もあるが、喚起してこそ生まれてくる需要もあるからである。 

             もしもコンスタンティヌスが、政治とは統治される側の需要を汲み取ってそれを現実化することだけであると考えるリーダーであったとしたら、5パーセントしかない支持者のために利益誘導するはずがない。彼もまた、喚起してこそ生まれる需要もあると考える、指導者に1人であったのだと思う。

             

             少数の勝者で多数の敗者を統治しなければならない場合の鉄則は、既存の統治階級の温存、につきる。既成階級を変革したくとも、それは後に延期すべきで、当面やらなければならないことの第一は、既成階級を安心させることなのだ。なぜなら、敗者であるこの人々は、勝者の進駐を、軍事力では自分たちは敗れたということが分かっているからなおのこと、強く深い恐怖を胸に抱きながら迎える。

             この瞬間が重要だ。少数の勝者による多数の敗者の統治が、上手くいくか否かを決めるからである。もしも、勝者が敗者の恐怖を増長するような政策を強行しようものなら、絶望した敗者は死にもの狂いの抵抗に起つ。そうなれば少数による多数支配は夢に終わり、残るのは、敗者による勝者へのしぶとい抵抗と、それを制圧するために投入せざるを得ない軍事行動の泥沼化でしかなくなる。これを避けたければ、ローマ史にはたぐいまれなるお手本があった。

            ■そのお手本とはカエサルのガリアでの勝者としての政策のこと。一言で言えば寛容でしょうか。

             

              

            shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:12 * comments(0) * trackbacks(0) * - -
            このページの先頭へ