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足立区「花保町会納涼盆踊り大会」

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    「花保町会納涼盆踊り大会」

    日 時:平成28年8月26日(金)19:00〜21:30

    場 所:花保町会会館前公園

    主 催:足立区・花保町会

     

     「花保町会納涼盆踊り大会」が今年も8月第4週の金曜日に開催されました。例年ですと金曜・土曜の2日間の実施でしたが今年は金曜日1日の開催となりました。

    それでも準備には同じだけの時間と手間がかかります。先ずは開催前の日曜日朝6時から町会役員が集まり、会場の準備としてテントの枠だけを組み立て、やぐら建てと力仕事。前日の木曜日にはテントの幕を張ったりやぐらの飾りつけをおこない、当日は4時から机・椅子を並べるなどと並行してお料理や飲み物の手配。

     今年は1日だけの開催で例年以上の参加者で開場は人々の大混雑となり、準備したアイスキャンディー1200本も休憩時間に配布したときにはあっという間にさばけてしまいました。12ほど出展した露天商の屋台は何処も長い行列ができて、9時半の終了時にもまださばききれないようでした。

     今年は天気にも恵まれ、事故もなかく盛会のうちに終了することができました。

    shr-horiuchi * 趣味・娯楽・生活 * 20:20 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

    訃報 真継伸彦著『鮫』『無明』『樹下の仏陀』

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      真継伸彦著『鮫』(河出文庫 昭和55年7月25日)

           『無明』(河出文庫 昭和57年1月25日)

           『樹下の仏陀』(筑摩書房 1982年4月30日)

       

       作家の真継伸彦氏が8月22日、87歳で急性肺炎により死去との記事を目にしました。真継伸彦氏の死は新聞の死亡欄の小さな記事にしかならないのかと時代を感じます。当時は主に真継伸彦氏に関して高橋和己、小田実、柴田翔などと共同の同人誌『人間として』を通して読んでいた記憶があります。そして、親鸞・浄土真宗に対する深い洞察に関心を持っていました。『光る声』『親鸞』も読みましたが、今でも本箱に並べているの上記の3冊で、『鮫』を最初に読んだ時にはとても衝撃を受けました。

      以下は『樹下の仏陀』からの引用です。

       

       沙門よ、釈尊が体得された真理を別の方途で明かすなら、釈尊のこれまでのご生涯が、真理を歴然とあらわしているのである。見るがよい、釈尊の生は苦ではないか。そなたの生は苦ではないか。私たちは生きている限り闘いあい奪い合い、愛するものと別れ、憎む者に出会うのである。生は苦である。老病死はさらに苦である。釈尊は苦の生涯を生きて、やがてご自身の苦を、苦という言葉に、すなわち正しい認識にお集めになった。言葉を用いるとは認識の行為であり、認識とは経験を集める行為である。苦の経験は同時に、釈尊の心身に集まって病を生ぜしめた。釈尊は苦をほろぼさぬ限り、ご自身が悶死するに相違ないことをお悟りになった。

       釈尊はそれゆえに出家して欲界をでて、苦を滅ぼすための道を探し求められた。ついに見出して苦を滅ぼされた。それゆえに釈尊の体得された真理、すなわち正覚は、苦・集・滅・道の四語に要約されて後世に伝えられたのである。

       沙門よ、そなたが私の話を聞きながら幻影の中に見たように、そして私が自己自身において追認したように、釈尊が苦を滅ぼすためにおとりになった手段は、ひたすら内部に眼をそそぎ意を集中して、苦の縁って生起するところ、すなわち苦の縁起する場所をまず見極めことであった。しかしてその場所が空にして無常なる無明であることを見極められたとき、すでに苦は滅びていたのである。

       すなわち空なる無明によって、生きるという行為があるのである。生きるという行為によって、識別という行為があるのである。口や胃が、喰られるものと喰べられぬものとを識別するように。識別する行為によって、名称と形態があるのである。喰べられる乳があり、喰べられぬ石があっるように名称と形態によって、眼鼻耳舌身意(げんにびぜつしんい)なる六つの感受する能力があるのである。六つの感受能力によって、妄執があるのである。妄執によって執着があるのである。執着によって各固の生命があるのである。生命によって出生があるのである。出生によって老いと死、憂い、悲しみ、苦しみ、愁い、悩みが生じるのである。すべての苦はこのようにして生じる。それゆえ苦の根源は、何ら実体のない、それゆえに無常なる、みずから知らざる行為である。

       沙門よ、一切万有の行為は無明の行為であるゆえに、秘密であり、神秘である。見るがよい、そなたなる秘密を。釈尊は衆目の眼にあらわなる秘密を空と見極められたときに、空であるが故に秘密であると見極められたときに、苦を、執着を、無明を滅ぼして明知にいたられたのである。

      shr-horiuchi * こんな本を読みました * 21:45 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

      ドナルド・キーン著『明治天皇』

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        ドナルド・キーン著 角地幸男訳『明治天皇 1〜4巻』(新潮文庫 平成19年)

         

         今上天皇のビデオメッセージ「お気持ち」を聞いてから、保阪正康著「昭和天皇」を読んだ後に、「明治天皇」にも改めて関心をもち、ドナルド・キーン著新潮文庫版『明治天皇 全4巻』を読み直してみました。「明治天皇」の体調がすぐれずに崩御するまでの最終巻を読むと、やはり摂政よりは生前退位が天皇陛下御自身にとりましても、皇族方にとりましても、そしてもちろん国民にとっても最善の選択であるようにも思います。以下は、『明治天皇』からの引用です。

         

         明治45年7月15日、明治天皇は気分がすぐれないにも拘らず、枢密院の議事に臨御した。普通であれば天皇の挙止は厳粛かつ端正で、いったん席に着くと長時間にわたってほとんど微動だにしないのが常だった。しかしこの日、天皇は甚だしく姿勢を乱し、時に仮眠した。これに大臣、顧問官等は、ひどく衝撃を受けた。皇居に戻った後、天皇は侍臣に次のように語った。今日の会議は外交に関することでもあり、特に重要だったので努めて出席した。しかし疲労に堪えず、覚えず座睡3回に及んだ、と。

        この日から天皇は脈拍不整となり、特に結滞(脈動が欠落)があった。しかし気分が悪くても、なお天皇は出御した。しかしながら仮睡の周期は、さらに甚だしくなっていた。天皇は、極めて疲労困憊しているように見えた。

         7月17日、天皇は脈拍不整で時に結滞があり、肝臓は少し硬化し、膝下の脚部に疼痛があった。天皇の歩調は極めて緩慢であった。しかし、いつものように出御した。

         7月18日、天皇は食欲が減退し始めた。出御しようとさえせず、終日呆然と仮眠した。その夜、天皇は熟睡できなかった。天皇の苦痛は、異例の夏の暑気によって、さらに増進した。気温は連日32度を下がらず、19日には最高34.5度を示した。夕食でワインを2杯飲んだ後、天皇は目がかすむのを覚えた。椅子を離れた時だった。天皇はよろめき、床に倒れた。左右の者は大いに驚き、倒れた場所に仮床が設けられた。天皇は高熱を発し、昏睡状態になった。

         

         天皇の最期は、明治45年7月30日午前0時43分にやって来た。直接の原因は、心臓麻痺だった。天皇崩御の報告は宮内大臣、内閣総理大臣連署で発表された。午前1時、内大臣は剣璽、御璽、国璽を奉じて正殿に入った。剣璽渡御の儀式が行われ、新天皇は詔書を発し、自らの治世の年号が「大正」であることを宣言した。

         

         天皇が軍隊の演習に出かけたのは、自分の地位がそれを要求していると信じたからで、自分の存在が演習全体に及ぼす効果を天皇はよく承知していた。兵士たちは天皇が統監していることを知り、天皇の御前で恥をかきたくないとして最善を尽くすのだった。天皇は、自分が兵士たちを奮起させることができることを知っていた。しかもそれは雄弁に訴えてのことでもなければ、自分自身の重要性を主張してのことでもなかった。義務こそが、天皇を主たる関心事だった。天皇には栄光への望みもなければ、自分自身をどう評価するかについても一切関心がなかった。

         

         天皇を知る何人かの人々が書いているように、公に認め得る側面以外に明治天皇の顔というものはなかったのかもしれない。天皇は自分に対して厳しい人間で、めったに好き嫌いを見せることがなかった。暑さ、寒さ、疲労、空腹など普通の人間を悩ます類のことで天皇が不平を洩らしたことなど絶えてなかった。天皇は、ほとんど不自然なまでに何事に対しても平然としていた。

         およそ快適さというものに対する天皇の無関心は、天皇が受けた儒教教育のためとされてきた。しかしこの教育は、父天皇や一般の宮廷人達が受けたものと本質的には同じものだった。にも拘らず、自分に対する厳しさという点で天皇に似る者は誰一人としていなかった。明治天皇は怒りに身を任せることがめったになかったし、勝手気儘や無責任と思われる振る舞いに及んだこともなかった。明治天皇には何か内なる精神力といったものが備わっていたようで、そのため自らが作り出した行動に規範にあまり逸脱することなく従うことができたのだ。天皇は自分が辛いという事実を、自分自身に対してさえ認めようとしなかった。

        shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:31 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

        ドストエフスキー著『白痴』

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          ドストエフスキー著 訳:木村浩 『白痴 上・下』(新潮文庫)

          小林秀雄『ドストエフスキイ 全論考』(講談社 1975年新装版)

           

           今年はドストエフスキーの長編5作品を読もうと決めて、今までに新潮文庫版で『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』と読んで来ましたが、7月の下中から『白痴』を読み始めてやっと読み終わりました。ドストエフスキーの作品では、どの作品にも共通して哲学的(死の問題としての殺人)、宗教的(ロシア正教のキリスト教)、政治的(ツアーリズムや社会主義)そしてきわめて世俗的(ロシア的生活・生き方・思考)という重要なテーマが描かれていますが、あえて言い切ってしまえば、『罪と罰』は哲学的、『カラマーゾフの兄弟』は宗教的、『悪霊』は政治的、そして『白痴』は世俗的な面が強く出ているように思います。

          『白痴』についても、小林秀雄『ドストエフスキー全論考』の「白痴について」から引用します。

           

           ムイシュキンは、汽車の中で、独り言を繰り返す。「俺は、これから人間の中へ出ていく。もしかしたら、俺は何一つ知ってはいないかも知れない。それだのに、もう新しい生活がやってきた」また、こんな事を言う、「みんな俺のことを馬鹿扱いする。だが、そう扱われていることをちゃんと承知している馬鹿はあるまいよ。何と言っても、俺は賢い人間なのだ。皆が悟らないだけなのだ」

           これがムイシュキンの読者への奇妙な自己紹介である。彼は27歳になる。彼の古い生活とは何なのか。主人公を汽車に乗せてしまった以上、そんなことは作者の関知することではない、と言った風に小説は始まる。読者の心は何かの期待でいっぱいになる。それほど、この謎めいた人物は、はじめから生き生きとした様子をしている。詮索するにも及ぶまい。当人が「これから人間の中へ出ていく」と言っているのだから、この男には過去なぞないのだろう。当てどもない様子で、初対面の人々をつかまえて、一向取り止めのないおしゃべりを始めているとこらから見ると、未来もこの男にはないらしい。彼は、ただ単に現存していれば充分という様子で人々を捕らえる。彼の魅力は何処から来るのか。この馬鹿のような男が、実は賢いというのはどういう意味か。ムイシュキンに出会う人々とともに、読者が、そういう疑問を心に懐き始める時には、もう事件は突発している。読者はその渦中にあって、「ムイシュキンという男の性質については、何ひとつ知らないかも知れない、それだのにもう新しい事件がやって来た」とでも言うであろう。読者には悪夢のような事件を追うより他に、何の余裕もない。

          突然、思いもかけぬ終末が来て、一切は失われ、主人公は、元の「白痴」に還る。悪夢が覚めて見れば、狂気と死滅の無意味な現実しか残らない。異様な緊張から解放され読者は、子供らしい質問に誘われるような気がする。で3は、悪夢の方が本当だったのか。ムイシュキンという人間の運命には何か容易ならぬものがあったのではるまいか。おそらく、作者が先ず欲くしたのは、そういう無邪気な率直な読者であったとも言えるであろう。

           

           作者は読者の再読を求めている。しかも、ムイシュキンとの無邪気な共感のもとに、物語を読み終えた読者の再読を求めているように見える。実際、この物語に終わりはないのだ。発狂した主人公は再びスイスの精神病院に帰っていく。そしてやがてまた彼は「俺は、これから人間の中へ出ていく」と言いながら、ぺテルベルグに現れるであろう。この物語を再読する読者は、物語を逆さに読むような感覚を味わうであろう。もともとこの物語には順も逆もないのだと合点するであろう。例えば、冒頭の一場面の、ムイシュキンの何気ない言葉の端くれの中で、物語の終末がはっきりと予言されているのに気付いて驚くであろう。

           

           読者は『白痴』の結末に、不意打ちを食ったように驚くであろう。しかし、熟考すれば、物語はまさにこのように終わる他はない、と合点してくれるだろう。しずれにせよ、結末は、結末として成功していると思っている。

          『白痴』の有名な結末を紹介する要はあるまい。小説を一読した者は、あの息を呑むような破局の印象を忘れることはできない。

           

          shr-horiuchi * こんな本を読みました * 20:44 * comments(0) * trackbacks(0) * - -

          保阪正康著『昭和天皇』その2

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            保阪正康著『昭和天皇』(中央公論新社 2005年)

             

             以下、『昭和天皇』からの引用です。昭和64年1月7日午前6時33分に昭和天皇が崩御され、皇太子殿下が皇位を継承される儀式と葬送の儀及び様々な儀式に就いてついて触れています。

             

             皇太子が皇位を継承する「践祚(せんそ)の儀式」は、昭和64年1月7日午前10時1分に正殿松の間において行われた。この儀式は「剣璽(けんじ)等継承の儀」といわれ、新しい天皇とともに浩宮、礼宮、常陸宮、三笠宮、寛仁親王、高円宮、そして国の行事であるがゆえに竹下首相をはじめ三権の長が参列して進められた。皇位の印である三種の神器の「雨叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」の分身や「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」、そして御璽と国璽を継ぐことになった。「八咫鏡(やたのかがみ)の分身は賢所(かしこどころ)にあり掌典長が賢所奉告の儀を行った。

             

             午前11時から開かれた臨時閣議では、事前に用意されていた「平成」「修文」「正化」の3つの案から「平成」が選ばれた。元号法では、元号そのものを政府が決定し公布すればいいとなっていて、天皇の意思は直接にいかされることにはなっていなかった。この「平成」は政府の説明によるならば、中国の史記からの「内平らかに外成る」、あるいは書経の「地平らかに天成る」から取ったとされる。この元号は、翌1月8日から実施されるとも発表されている。

             

             新しい天皇による「即位後朝見の儀」は、1月9日午前11時から宮殿の正殿松の間にて行われた。各皇族も出席したが、三権を代表する首相、衆議院・参議院の議長、最高裁判所長官、それに政治家など出席者は243人にも及んだ。ここで新天皇は国民に向かって呼びかけを行っている。

             「大行天皇の崩御は、誠に哀悼の極みでありますが、日本国憲法および皇室典範の定めるところにより、ここに皇位を継承します。深い悲しみのうちにあっても、身に負った大任を思い、心から粛然たるを覚えます。

            顧みれば、大行天皇には、即位60有余年、ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され、激動の時代にあって、常に国民とともに幾多の苦難を乗り越えられ、今日、我が国は国民生活の安定と繁栄を実現し、平和国家として国際社会に名誉ある地位を占めるに至りました。

             ここに、皇位を継承するに当たり、大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません。」

             

             大行天応の「大喪の礼」は国の儀式として、2月24日午前11時半から新宿御苑で行われることになった。しかし、この日には午前7時半から皇室行事としてのお別れの様々な行事も行われることになっていた。皇室行事には、「斂葬(れんそう)の儀」があった。これは一般でいう葬儀の意味をもつが、皇室行事としては伝統に基づく幾つかの約束事がある。

            憲法上の制約もあって、皇室行事と国の儀式とは明確に分けられることも発表された。

             

             平成元年8月4日に天皇と皇后は皇居・石橋の間で即位してから初めての公式の記者会見を行った。以下のその会見の一部となります。

            「憲法に定められた天皇のあり方を念頭に置き、天皇の務めを果たしていきたいと思っています。国民の幸福を念じられた昭和天皇を始めとする古くからの天皇のことを思い致すとともに、現代に相応しい皇室のあり方を求めていきたいと思っています。」

            「憲法は、国の最高法規ですので、国民とともに憲法を守ることに努めていきたいと思っております。私にとって憲法として意識されるものは日本国憲法ということになります。しかし、天皇は憲法に従って務めを果たすという立場にあるので、憲法に関する議論については言を慎みたいと思っております。」

            「現在の世界は、あらゆる国々が国際社会の一員という立場に立たなければ、人類の幸福は得られないという状況になっていると思います。したがって、国と国と親善関係の増進は極めて重要なことです。それには、人と人との交流が果たす役割も大きい者があると思います。私もそのような意味で、私の立場から、外国の人々との理解と親善の増進に役立つよう努めてまいりたい思っています。国際化にはいろいろの面がありますが、最も大切なことは、外国に人々に対して、それぞれの心を理解しようと努め、お互いに人間として理解し合うよう努めることが大切と思います」

            shr-horiuchi * こんな本を読みました * 21:27 * comments(0) * trackbacks(0) * - -
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